55年間続けてきた「笑点」からの卒業、木久扇が涙の別れを告げる
55年間続けてきた「笑点」からの卒業、木久扇が涙の別れを告げる
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2024年3月23日 10時0分スポーツ報知
https://hochi.news/articles/20240322-OHT1T51255.html?page=1
インタビューで元気いっぱいの姿を見せた林家木久扇(カメラ・小泉 洋樹)
(出典 hochi.news)
落語家の林家木久扇(86)が31日の放送をもって日本テレビ系演芸番組「笑点」(日曜・後5時半)の大喜利レギュラーを卒業する。歴代最長の55年間にわたりレギュラー出演した「笑点」の生ける伝説。晴れやかな表情で次世代の大喜利メンバーへのメッセージを託しつつ、86歳からのネクストステージのキーワードに「ゴリラ」と「宇宙」を挙げた。(宮路 美穂)
噺家(はなしか)人生は64年、「笑点」人生は55年。半世紀以上をともに歩み、「ライフワークというか、あって当然なもの。おみそやしょうゆと同じように、当然いつもあるものだった」。芸道の実に6分の5の年月を過ごしてきた「笑点」の卒業の時が近づいている。
勇退の決断は2年ほど前のこと。「うちのおかみさんが『お父さん、もういいんじゃないの』って。僕の分身みたいな人。おかみさんが僕を見てそう思うなら、そうだなと思って『いいね』って言っちゃったんです。86歳ですから、あと生きるとしたらどのくらいかなと思って。自分の時間を随分ささげてたわけで、今度は自分に残された時間を濃く過ごしたいな、って」
感傷や寂しさよりも、サッパリした感情の方が大きかった。「孫悟空が金の輪っかを三蔵法師に外してもらった、みたいな。自分中心に生きていいって、80過ぎになって気がついた。晴れ晴れとお別れがしたくてね。みんな(健康状態で)ぐちゃぐちゃってやめていくでしょう? そうじゃなくて、僕はすがすがしくいなくなりたいなと思った」
木久扇は番組開始2年目だった1967年10月の「若手大喜利」に初出演し、2年後の69年11月にレギュラー昇格。初代司会・立川談志さんから6代目司会・春風亭昇太まですべての司会者を見届けてきた。
「今は横並びですが、最初は真ん中に司会者が座るハの字形だった。その時、人数多いから3つぐらいしか指されなくて、変な話、楽だったんです。それがだんだん(回答者が)選ばれて横並びになると、人数少ないだけ回答が増える。僕は機械に慣れていなくて、上の赤いタリー(表示灯)がつくまで待ってから答えていたから変な間(ま)が空いちゃって。それでプロデューサーに注意されてね…。いつ降ろされるんだろうって、毎週ビクビクしてましたね」
それでも残り続けられたのは、柔軟な対応力のたまものだ。「自分の大喜利の形ができたなと思うと、司会者が代わっちゃうでしょ。やりながら動物的な勘で感触を探っていくんです。一般の視聴者に合わせるよりも、司会者をウケさせる答えを出していく。特に(4代目司会者の5代目三遊亭)円楽さんは僕の答えが好きだった。『バカなこと言って…!』とか言って、僕が答えるのをすごく面白がっていた。そういうのを探っていくのが大変なんですよ」
黄色い着物におバカの与太郎キャラがトレードマーク。「ミネソタの卵売り」や「いやん、ばか~ん…」の歌ネタ、木久蔵ラーメンなど鉄板ネタでお茶の間を楽しませてきた。「落語と笑点の大喜利の芸って違うんですよね。もちろん、どちらも着物を着て落語家がやってるんだけども、落語が15分か20分で笑ってもらうのに対して、電波は10秒か20秒でパッと面白いこと言わないといけない。自分がどうやってそれをつかんで、どうやって発表するかっていうことだと思うんです。短いフレーズが作れる人が勝ちですし、自分をプロデュースする力もないと残れないと思うんですね」と、次世代の「笑点」の担い手に期待する。
「笑点」から新しい一歩を踏み出す木久扇。この先やってみたいことを尋ねると「ゴリラですね」と涼しい顔で答えた。ゴリラ…?
「あんまり僕、動物のことは詳しくないんだけど、この間、元京大総長でゴリラの専門家の方(山極壽一氏)と知り合いまして。その人にゴリラのことをいっぱい教わろうと思って。私が今まで気がつかなかったことをずっとやってる学問の人たちに師事したい。僕は宇宙人にも会いたいって、本当に本気で思ってるんですよ」。知的好奇心はとどまるところを知らない。
(※以下略、全文は引用元サイトをご覧ください。)